1000年後へのブログ・・・偏頭痛を治そう⑥
本当に好きなこと・・・・・?
そういう私も、田舎暮らしを始めた最初のうちはそんなことはわからず、そもそも当面どうやって食いつないでいくかで頭の中は一杯。
渓流脇の山荘に住むようになっても、
「のんびり川をいつまでも眺める」
なんてことは、とても出来ませんでした。
とはいえ、あまり食って行くことにばかり夢中になっていては、何のために生活を変えたのか、意味がなくなってしまいます。
なので、仕事を、バイトを選ぶにあたっても、
「好きなこと」
をするようにしようと思いました。
これは所謂、
「好きなことをしていいんだ!輝こう!」
というノリではなく、
「ある程度好きなことくらいしか当分出来そうにないしな・・・」
といった、
「後ろ向きに前向き」
なスタートで、そもそも自分は本当のところ何が好きなのかは、わかりませんでした。
それでも、好きだとわかっていることはいくつかありました。
まず山の中の川。
昔から心身を痛めると、そういった所へ行きたくなるのでわかっていました。
そして渓流の脇にある山荘に 「住み込み管理人」 として住むようになったことで、これはひとまず達成されていました。
次にはっきりしていたのが、掃除でした。
自分の部屋、学校の部室、会社の事務所、どこへ行っても率先して掃除をしていたので、好きなんだろうとわかっていました。
またうちの母親は、
「頭が痛くてご飯がつくれない・・・」
という時でも掃除だけはセッセとしていましたが、自分もそういうところがありました。
これであれば頭痛のひどい日でも仕事が出来るはずです。
そう思い、スポーツクラブの風呂とトイレ掃除のアルバイトを見つけだし、始めたのでした。
一度書きましたが毎朝2時間、汗だくになってタイルや桶・便器に磨きをかけピカピカにするという、毎回成果が目に見える仕事は精神衛生に良く、湯気の中での軽作業も偏頭痛予防には良かったです。
仕事が終わるとそのまま朝風呂に入れさせてもらい、スッキリした後は100円程度で一服出来る店に入り、好きなことをすることで心身の調子が良くなってくること、新しく湧いてくるパワーを感じながら、さらに自分が好きなことについて考えていました。
毎朝の風呂トイレ掃除のバイトと、山荘の管理、これもほぼ掃除です。
掃除機をかけ布団を干す、窓を拭き、庭を掃く、そして傷みの出たところは修繕する。
時間は決まっていない仕事なので、自分のペースで黙々と作業に没頭出来ます。
そして気の向くままに休憩をいれ、犬を川で遊ばせ自分も散歩です。
その後、スポーツクラブでのトレーナーのバイトも始めました。
これは好きというか、自分なら出来るだろうという考えで始めたことでした。
ともかく全てを合わせて、1日の労働時間が7時間以内になるようにしました。
しばらくして、缶コーヒーが喉を通らなくなり、コンビニに行くことがなくなりました。
こういった新しい生活のサイクルに馴染むと、さらに余裕が出てきて自分の過去を見つめることが出来るようになり、自分の本当に好きなこと、自分自身が次第にわかるようになっていきました。
手順です。参考までに。
「幼稚園」
ブロック遊びが好きだった、一人でずっと遊んでいた・・・
ぬいぐるみが好きだった、今も好きだ・・・
カロリーヌの絵本(フランスの動物もの)ばかり読んでいた・・・
「小学校」
学研の秘密シリーズを読みふけって暗記していた・・・
自由時間に一人でランニングしていた・・・
壁新聞とイラストをよく書いていた・・・
「中学校」
軽自動車雑誌を読みふけって性能を暗記していた・・・
授業中に足漕ぎヘリコプターで飛ぶ空想をずっとしていた・・・
「高校」
電車を使わずによく歩いていた・・・
駅前のモーニングセットを食べ歩いた・・・
書店を巡って参考書を沢山研究した、参考書の「前書き」を好んで読んでいた・・・
山歩き・・・
毎日きっかり1時間サンドバックを蹴っていた・・・
「その後」
稽古と理論の研究・・・
ドトールコーヒーめぐり・・・
土地と歴史の研究・・・
オートバイ、ジムカーナ、スタントライド・・・
ロイヤルホストめぐり・・・
業務マニュアル作成・・・
建物の再生、草刈・・・
こう箇条書きで書き出してみると、自分の中の傾向が見えてきます。
自分の中の強い『キーワード』となる言葉は、
・動物
・絵本
・軽自動車
・喫茶
・山、川
・研究
・特訓
・掃除
・表現
でした。
つまり自分は、
「可愛い物と癒しが好きで、自分の中で練りこんだものを表現したいタイプの人間」
だということがようやく自覚出来てきたのです。
わかれば後はもう逆らわないようにしようと思いました。
そうすると、またいろいろな事がいっそう上手く回りだしました。
仏陀の弟子にパンタカという異常に覚えの悪い弟子がいました。
とにかく暗記が全く出来ない人だったらしく、パンタカ本人も挫けかけていた際に、
「掃除だけでいいから頑張んなさい」
と仏陀から箒を渡されます。
パンタカはその箒でひたすら掃除に打ち込み、やがて悟りを開いたのでした。
ここで考えていただきたいのは、
好きで掃除をしている私と、修行のために掃除しているパンタカ、
どちらが社会に喜びをもたらすかといったら、そりゃ私だということです。
仕事の仕上がりも私の方が綺麗でしょうし、好きで掃除している私が近くにいる方が、「修行だ!」と思いながら掃除しているパンタカが横にいるより、まわりの人も気分いいでしょう。
サンドバック蹴るのが大好きで、
「何時間蹴ってもまだまだ蹴りたい!」
という人間と、
「俺は選手だプロだ、一日に20R位は蹴らなきゃ!」
と思って蹴っている人間が、いざ対戦して蹴りあっても勝負になりません。
ドーナツが好きで好きでたまらなくて、ミスドでバイトしている娘と、
「ドーナツなんて油菓子を喜んでいくつも食べる連中の気が知れないけど、こういう俗っぽい所で若いうちにバイトしてみるのも勉強だわ」
と思ってバイトしている娘、
どちらのレジに並びたいですか?
簡単なことは、何故か見えにくいものです。
私も掃除という好きなことを黙々としているうちに、次第にそういったことが少しずつ見えるようになり、もっとシンプルに好きなことで自分を活かして、まわりも楽しませようという気持ちが強くなりました。
そうして新しいことも始めてみると、やはりそれも上手くいくのでした。
なにしろ好きなことだけに、深い知識と愛を持ってことにあたり、それが相手にも伝わるからです。
皆さん愛のある仕事をされる事に飢えてますから。
ここ数日で、
「この人は愛のある仕事をしているな~」
と感じさせる人に、どらくらい会ったでしょうか?
ほとんどいなかったのではないでしょうか。
そして、ほとんどいない「プラス」のものには、価値が出るのです。
こうなってくると、世界がすごく素晴らしい場所だということに気づいて、大好きだと思うようになってきます。
そして誰だって好きな相手のためなら、「義務感」なんてなくても何かしてあげたいと思うじゃないですか。
世界に対して、そう思って行動するようにようになるんです。
「人が好きなことばかりしても、世界が滅茶苦茶になったりは決してしない」
これがその前向きな理由です。
後ろ向きな理由は、
「自分が本当に好きなことと真剣に向き合う人は、絶対的に少ないから」
です。
「好きなことばかりしていてはいかん」
「みんなが好きなことをしていたら世界は滅茶苦茶になる」
好きなことが何か、知らない人、誤解している人はこう言うのです。
そう、
「好きなこと」
は、
「よく理解されていないし」
しかも、
「誤解されている」
のです。
「好きなこと」
それは少女漫画の様に、フワフワで甘くて虹色な キラキラ したものだとか、
少年漫画の様に「飲む打つ買う喧嘩する」の、欲望ままの ギラギラ した様なことだと勘違いされているです。
「好きなことばかりしていいとなったら、
私は毎日正午まで寝ているわ、昼ドラ見ながら酒を飲んでいるわ、カタログショッピングで注文し続けているわ。
子供達も好きにさせておいたら、きっと一日中ゲームかメールしているわ、ジャンクフードばかり食べて、炭酸ジュースばかり飲んでるわ
旦那は道路沿いの早寝の爺さんが目を覚まそうが、夜更かしの婆さんが朝方に目を覚まそうが気にせずに爆音マフラーで走り回って、パチンコに一日中行ってるわ」
それは本当に好きなことではないでしょう!?
というか、むしろそういったことは、
「日常的に好きなことが出来ていない人間が、その反動でやること」
であり、
「中毒」
です。
本当に好きなことをしていたら、もったいなくてそんな中毒的な行為に時間もお金も使いません。
周囲を見れば、好きなことが出来ていない人ほど、中毒的なことをしているでしょう。
ですから、経済の活性化の視点から見れば、人に好きなことをさせないで、その反動で消費させ、中毒にした方が効率がいいのです。
1000年後の社会はそういったことは卒業していることでしょうが。
好きなことと、反動的行為や中毒は違うものです。
「好きなこと」自体は悪いことではないのです。
問題なのは、「何を」 好きなこととしているか、 なのです。
「いい人」 ほどここを混同しないでください。
1000年後の人は、私がまだ遠慮して書いていることに気づいているでしょう。
そう、この時代は
「社会全体が護送船団方式で進むために、人それぞれに『好きなこと』をさせないように、様々な手段で『好きなこと』を貶め、意図的に誤解させコントロールしている」
まだそういう時代の後期だったのです。
国全体がこれまでの立ち位置を変え、変わらなくてはいけない時期に来ていることは分かっていても、まだ新しいことへの恐れ、抵抗がある。
ですから例えば、2015年の現在も有名動画サイトで、
「好きなことで生きる!」
と動画職人を持ち上げるキャンペーンを張っていますが、これから必ず、制作に際しての事故・トラブルや、内容の非倫理性に焦点を当て、
「やっぱり好きなことで生きようなんて、ろくなことにならん、ろくなもんじゃない」
という空気を作ろうとする動きも出ることでしょう。
そういったニュースを目にした時に、考えていただきたいのは、
「そもそも彼らの中で、本当にその動画を好きなことだから作っていた人というのは、どれくらいいるだろうか?」
ということです。
「本当は歌手やタレントになりたい」
「手っ取り早くチャンスがつかめそうだからやっている」
そういう人が多いでしょう。
そして、『再生回数』を稼ぐために、
「好きでもない、奇をてらったこと」
をやり、それを見て人は、
「好きなこなんてやっぱりロクなもんじゃないね!」
と勘違いしてしまう・・・。
本当に好きなことをテーマにしていれば、閲覧数だの評価数なんて気にならないはずです。
私もこの手の話は本当に好きで、閲覧数0でも毎日書けますね。
私に限らず、ここはそういった人が多い場所と感じています。
そういうところがムラゴンは素晴らしい、カッコいい。
『偏頭痛を治す、心のコツ』
・好きなことをするパワーを認識し、好きなことに打ち込むこと
・そのためには、好きなことをすることに対して「植えつけられてきた罪悪感」と向き合わなければならない
つづく