1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

心の技術・・・感謝の壁3





この話は、



『感謝、感謝することの何が具体的に良いのか』



『しかし何故に感謝することは難しいのか』



その点について書いているものです。













4.自分を認めること







あなたは自分を認めることが出来ますか?



出来ていますか?



これが分厚い 『感謝の壁』 です。











自分を認める。




とても、難しいことです。








しかし、これが出来ていないと、自在に心から感謝をすることは出来ません。







 義務的に、



 「感謝だ!感謝だ!」 



と自分に強要するか、何か 



 『超★ラッキー』



っぽいことがあった時にだけ、



 「ありがてぇ、感謝だわぁ♡」 



と言えるだけでしょう。








常に、自分自身を含めた、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を



「自在に」



切り出していくことは出来ないのです。








 好きなことを次々にしていくことは出来ないのです。






食べたいものを食べることすら、大騒ぎなのです。












1・苦しみ否定


2・『正義』 否定


3・世界を肯定すること


4・自分を認めること






2.の 『正義』 に惑わされてしまう事も根深い問題ですが、時間が解決してくれる部分があります。



人は常に「正義」の旗印の元に操作されてきていることに、「正義」にエネルギーを注ぐほど、その分早く気付きやすくなるものだからです。




もっと言うと、年老いて膝もろくに上がらなくなって来た頃には、そういったことへの興味を自然と失っているでしょう。










 1.の 『苦しみ』 を手放せないことも、多くの場合は時間が、長い時間ですが、解決してくれることがあります。



やがて苦しみに耐えられない体になっていくからです。


 (最後まで苦しむことを捨てられない人は多くおられますが)








とはいえ、時間の経過によって 「正義」 や 「苦しみ」 を手放すことになった場合、その頃には好きなことは出来ない心身になっているでしょう。





その時に代わりに身に付けているのは、きっと捻くれた卑屈な精神です。










ですから、



「自分で意識して手放す」



ということが、やはりどうしても必要になってきます。










 一方で、



 4.自分を認めること





死ぬ間際になって、若干ヤケクソ気味に自分を、自分の人生を肯定するといったケース以外では、時間が解決してくれることも無いように思います。








また、



4.自分を認めること 


と 


3.世界を肯定すること



には複雑な関連があります。









多くの人は、



「人は他者(世界)から認められた時に、自分を認める」



そうしようとしています。






もしくは、



「他者(世界)の基準で、自分を自己評価しようとする」



この二通りです。








 自分で自分を認める、自分の基準で自分を評価するなど、とんでもないことだと思っています。







しかし自分を認めることが出来ていない人は、同時に、



「他者(世界)のことも心から認めてはいない」



ものです。








何故なら、



「究極的には、人にとって何よりつらいことは、他者の方が自分よりも優れていると感じること」



だからです。








 自分を認めていない人間が、他者を 「認める」 というのは、考えてみればおかしな話でしょう?





「お前は強いな!」



そうサラッと言える人は、



「でもオレだって強いぜ!」


「でもオレだって昔はそれ位強かったぜ!」


 「でもオレだって必ずそれくらい強くなってみせるぜ!」



それか、


「でもオレはモテるぜ」



そういった確信、自分を認める部分があるからこそ、そう言える、相手を認めることが出来るわけです。








しかし自分自身を自分で認めることが出来ない人は、それが出来ず、



「奴は才能に恵まれているから」


とか、


「あいつみたいに小さい頃から試合に出ていりゃ誰だって・・・」


とか、


「そもそも世の中スタートの段階からして不公平なのが問題で、まず現在の社会のシステムを・・・」



とか、匿名系のコメント欄ではよくこういった「批評」をよく見ますね、他者を認める、世界を肯定することが出来ません。












これは深刻な問題です。



 自分を評価した相手を、他者を、世界を、自分が認めていないのですから、他者(世界)に認められた、その基準に適ったと自己評価出来たいっても、それはそれで深い喜びを得ることが出来ません。






評価していない相手から評価されても、それほど嬉しくはないでしょう?




それでも、自分が何故満たされないのか、わからないまま、また同じ様に走り出してしまうのです。






つまり、ゴールに辿り着けないようになっているのです。












ですから、今この瞬間から、状況に関わらず、まず自分自身を認めなくてはなりません。





それも自分の基準でです。








どんな、どんな状況に今あってでもです。




「自分自身をまず認めること」



が必要なのです。







オレはあなたを認めない。



周囲の誰もあなたを認めない。




それでもです。









「認められれば、認める・・・」





少し脱線しますが、



これは 「時間とお金」 の関係によく似ています。





人はよく 「時間とお金があればやってみたい」 と言います。



それが本当かどうかはともかくとして (まぁ本当に時間とお金があればやってみたい程度のことなのでしょうが)、しかし殆どの人は



「自分の時間を切り売りしお金に変えている」



ため、何時までたってもその二つを同時に手に入れることは出来ず、結局出来ないままで終わってしまうことが多いわけです。




ジレンマと思われている部分です。











少し昔であれば、定年まで頑張り切れば、そのあと好きなことにお金と時間を回せる状況に至る人は割とおられたのかもしれません。




今もまだそうですね。



でもこれからは違ってきます。









とはいってもオレは悲観は全くしませんね。



オレが小さい頃は、男性は70歳を過ぎたら、見た目からして



「さぁ、いつお迎えが来るのやら」



といった感じでしたが、最近ではその位の年齢の人を見ても、



「確かにあと10年は持つだろうな」



という人が凄く多くなっています。







「時間」 は確実に多く手に入れられるようになっているのです。



「時間とお金」



どちらに価値があるといったら 「時間」 です。






また昔の人は今の人以上に不自由な 「考え方」 が染みついていました。



今の人もやたら不自由な考え方をしているとオレは思っていますが、間違いなくそれ以上でした。









「考え方」 が自由になっていないと、お金と時間があっても



「悪い出来事や不足への備え」



くらいにしか使えないですから。






実際に 「定年まで頑張ったから、今は好きなことしてま~す」 って罪悪感も感じさせずにサラッと言う人に会うこと、どれくらいあります?






だから、今のように 「考え方」 の幅がどんどん広がっている時代、そして 「時間」 が増えている時代を生きられている方が、オレは豊かで自由だと思いますし、まったくもってありがたいですね。



これからもエンジョイさせてもらいます。














感謝ってこんなことです。







「幸せなら手を叩こう」



って歌がありましたが、手を叩いたってしょうがない。










幸せなら、つまり感謝を感じているなら、自分の命を、与えられた環境を活かしきって、輝いてくれ、



「世界を明るく照らしてくれ!」



ということです。







あなたは感謝を、なにか大きなものを恐れながら、恐縮してみせることだと思っていたのではないでしょうか?











一度書きましたが、



この世界は、





・何らかの科学的偶然の連続で出来た⇒だから宇宙に意志など全くない





・何らかの意思が作りだした⇒その意志の持ち主が人の考えるところの神であり、その神


「人間より人間が出来ているであろう神」


は人間に対して「オレのことなんて気にしなくていいから、生き生きと楽しんでよ!」くらいに考えている





このどっちかです。












あなたが恐縮して、縮こまり、そのことで喜ぶ相手などいないのです。




広い宇宙の中で、大多数の人間くらいのものです。
















のびのびと、あなたの考えを語ることです。



のびのびと、今の環境と、自分を活かして、したいことをすることです。






感謝しているならば。
















今回は、



「4.自分を認めること、これが出来ていないと 「3・世界を肯定すること」 も出来ない。


そして感謝することもままならない」



についての説明でした。






次回は、



「ではどうやって自分を認めていくか、そもそも何故自分を認めることが出来ないのか」



といった話になっていきます。



(つづく)



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