1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

心の技術・・・感謝の壁6

















感謝する。



それは自分自身や、自分を囲む環境といった、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を切り出すことであり、


だからこそ、最良の機会に恵まれ続け、最良の自身となり、最良の働きが出来るのだと、



好きなことが次々出来るのだと書いてきました。










そしてその為に、どうしても根底に必要なものは、




自分を認めること、


自分を愛すること、


自己信頼、




だと。










しかし、エマソンも言っているように、社会は何よりも自己信頼を嫌います。






「何よりも求められる美徳は皆に合わせることであり、自己信頼は嫌われる。


社会は真実や想像力ではなく、名前や習慣を好んでいる」



「世間に従わなければ、人々の反感を買って酷い目にあわされるだろう」












だから結局は、



「どちらにしますか?」



ということです。












自己信頼を基盤に、藪の中を野生動物のように裸で進むか。



運命や社会の、程度の差こそあれ、ペットになって過ごすか。 












あなたはどちらにしますか?













ちなみに、




「決断しない、深く考えない」




は必然的にペット行きになります。







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天は常に決断を待っています。




その決断に合わせて、物事を起こします







天は常に、人間の決断を額面通りに取るようです。



「お前はそう決めたみたいだけど、向いてないと思ったから少しこっちに寄せておいたよ」



というお節介な教師のようなマネはしないのです。





それではせっかく与えた人の自由意思を損なうことになり、天からすると 「NPC」 の反応を純粋に楽しめなくなるからでしょう。


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実際にやってみると分かりますが、藪を裸で進んでいくと、日毎に丈夫になっていきます。



体もそうですけれど、特にメンタルが。




それに次第に藪の方が折れてくれるようになりますね。









ペットだった頃は、よく風邪を引いていました。



風邪をひかないと休ませてもらえないと思っていたからです。




そして時間が経つほど、雑に扱われるようになっていったように思います。


















『自己信頼が難しい理由についての補足、そしてどうすれば出来るようになるのか』



についてです。









自己信頼が難しい理由について、それは書いてきましたように、一つは社会が自己信頼を許さないからです。





感謝させないのです。



自分自身や、周囲を囲む環境の良い所に目を向けさせないのです。



見出した良い所を、活かさせようとしないのです。








そうしておいて、自分がさせたいことをさせるのです。







何故なら、自分が不安を感じているから。



つまり、自己信頼が無いから。










「自己信頼が無いから、他者にも自己信頼させない」



「親が自分に自信が無いから、子供にあれこれ詰め込もうとし、子供はその親の自信の無さに気付いているので、そういう親のいうことを聞こうとしない。その子供の反応を見て親は一層自信を失う」



「強いコンプレックスを持つ評論家ほど、細かい差異を 「悪」 だと騒ぎ立て、大きな組織やメーカーはコンプレックスの強い奴らの意見なんて参考にならないよ、と無視する。するとよりコンプレックスが刺激され、論調がヒステリックになっていく」




という泥沼です。








ここを突き抜けていくにはどうするか?











それは周囲が、社会がどう反応しようが、 


「オレは自己信頼を基盤に行動する!」



と、



決心



し、実際に行動する人間が増えていくしかありません。











そう、オレと、あなたから! m9(^∀^) Yah!


















すると次の最後のテーマに行き着きます。






「それはあんたが強いから言えるんだ。 


あんたは暗に自分の強さを振りかざして周囲を威圧し、しかも内心では変わらない他者を 『否定』 している。



そういうやって自分を誇示し、自分の存在を確認しようとしている 『悪人』 さ。



世界は変わらないから、自分がさっさと変われと言いながら、今の自分を認めて愛せという、実は現状肯定主義者だ。





今の自分を認めないところから、人は変わっていく、前に進めるんだ!」



















オレにとって今の車2台は本当に 「愛車」 だなと思います。



オレはこの2台に対して、不足というのは何も感じていません。






デザインもこのままで完璧。


走りもこのままで完璧。


装備もこのままで完璧。




完全に現状を肯定しています。









しかし、完全に肯定しているからといって、何も変化を起こさないのかというと、決してそんなことはありません。







クーペを2台体制にして、片方の車高に上げ、カンガルーバンパーも取り付けてRV仕様にし、もう一台はギリギリまで下げて楽しむかもしれません。



軽トラックの荷台にオリジナルFRPキャビンを搭載して改造車検を取るかもしれません。



クローラー化するかもしれません。







むしろクーペをクローラー化、もしくは後輪2軸にするかもしれません。



マグナポリス38に限りなく近くなりそれはそれで格好良い!







というか、マグナポリス38を自作することに50歳代のエネルギーは全て使っているかもしれません。



クレーン車をベースにするといいのではないでしょうか?



たまりませんな。















「現状に不足を感じる、現状を否定するからこそ、その時初めて人は変化を起こす」




というのは不自由な思い込みです。












「自分を認める、自分を愛する、自己を信頼する、そんなことでは人は成長出来ない」






この考えが、自己信頼を難しくしている、感謝させない根底にある理由 「壁」 です。








そしてこれが、一般的には悲劇と呼ばれる状況を多く生み出しています。













しかし考えてみて下さい。




宇宙は 「オレ小さいな・・・」 と思って猛スピードで拡大しているわけではありません。





生き物も 「オレたち少数派だからもっと増えないと・・・」 と思って繁殖を繰り返しているわけではありません。






常に発展向上を求めるのは、世界の基本的な在り方なのです。







人もその中に生きているのです。










そのことを、よく考えて下さい。









不足や否定を起点とした動機など無くても、人は発展向上しようとするものなのです。















プレッシャーと 「毒気」 から自分を遠ざけて、「好きなこと」 について考え、それをすればいいのです。





次々と意欲と力が湧いてきて、様々なことに挑戦し、伸びていくでしょう。













そして同じように、好きにさせればいいのです。



その中から、自己信頼は生まれます。













オレが自分を認められるようになったのも、「弱い」 と感じたことからスタートして 「強く」 なった時ではなく、ただ好きなことをするようになった時でした。







世間はそう思っていないかもしれませんが、いくら強くなったところで、自分を認めることは困難です。



強い奴などいくらでもいて、昔と違い世界が舞台となった現在ではもはや天井知らず。




試合では圧倒出来た相手が夜中にアパートにやって来て、入念に灯油撒かれてから火を付けられたらもうアウト。



それに格闘関係者の立場など極めて弱いもの、収入はバイトだけしていた方が多いくらいで、社会からも警戒されるだけで、プラス評価などされはしない。











オレはそう思っていましたし、だからそれがオレの現実でした。






「弱い」 



という自己否定の動機を起点として強くなることでは、自己信頼は生まれませんでした。











それが出来るようになったのは、体を壊してサラリーマンを続けられなくなり、フリーターとしてバイト先で好きな掃除、「雑巾掛け」 を黙々としていた時です。







「オレは雑巾掛けは嫌いじゃない。 これをやっていることで、今一応食べていけている。

毎日結構楽しいし、幸せを感じるようになってきた。




・・・・・・・・・じゃあオレもうずっと心配いらないな!」










そこで初めて 「自己信頼」 が生まれたのでした。















もちろん強くなることで自己信頼が生まれる人もいるでしょうし、30代バイトとして雑巾掛けをすることで、速攻で鬱になる人もいるでしょう。





つまり、


本人が何をしたかではなく、

本人がどう考えてしたか、


なのです。













ですから、いろいろ考えながら、気になったことを実際にやっていって、


「それをすることで自分はどういう 『考え』 を抱いたか」



自分自身で一つ一つ試していく、



「やってみるしかない



のです。






しかない、のです。










手間のかかる作業ですから、不満を言いながら同じところをクルクル回っている、薄々気づいているのであれば、そういった時間はもったいない。





時間は平均寿命まで生きたとすれば、人生全体では割とありますが、その 「年代」 は結構短いのですから。




 (気づいていなければ、学びのための必要な時間です)







 (つづく)

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