1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

1000年後へのブログ・・・2010年田舎暮らし④


身体を壊したことで都落ちし、一度埼玉のはずれに住んだことで、群馬の魅力に気付けたのでした。




それから群馬中を走り回って、

「ここ良いな!」


と思う場所があったら、すぐにそこの役所に飛び込んで、


「良い所ですね!住みたくなったんですが何か定住支援などはしておられませんか?」


というのを繰り返しました。




好意的な反応、そうでない反応、いろいろありました。



でもそうやって続けていって、新規移住者に協力的であることをアピールしているのは〇〇村と、今住んでいる××市だけということが分かってきました。




「過疎化」


という言葉が生まれてこの時既に40年近くたっていたのですが、役所の対応はこの頃はまだそれくらいでしたね。



今は、


 「新規移住者募集!協力します!」


的なアピールをしている自治体はもっと増えていると思うんです。



でもそういうのも、一朝一夕で上手く出来るものではなくて、自治体の方も積み重ねがいりますから。


その自治体がどれくらい前からそういった活動をしていたのか、初期の失敗サンプルにならないように、そこはチェックしても良いと思います。





農協や森林組合が移住の窓口となっているところもいくつかあり、片っ端からあたってみたのですが上手くいきませんでした。



なぜならこういう組織は私たち夫婦のような、


「逃避的田舎暮らし」


のタイプではなく、あくまで即戦力となる人材が欲しいということが前提としてあるからです。



森林組合は飛び込み訪問して、3つの組合で面接にこぎつけたのですが、全て落とされました。



みんな見る目があったなと思います。


たしかに私は、入ってもすぐに辞めただろうと今は思います。





そうやって模索しているうちに思わぬ話が来ました。



それは、


「××市の山中に、誰も使っていない山荘があるのだが、そこにタダで住んでもらって構わないから、管理人をやってみないか」


というものでした。




その山荘は、昔自分が倉庫で荷物を担いでいた東京の会社の保養所という扱いになっていて、


「でも汚いから誰も使わない、そしてますます汚くなる、の悪循環で困っている」


とのことでした。



自分は常々、

「群馬の山の中で暮らしてぇ」

と、



願いをちゃんと口に出す



ようにしていたのですが、その話が巡り巡って社長の耳にまで届き、


「じゃあ彼にお願い出来ないもんかね?」


ということになったのでした。





そう、願いは口に出していると、こういうこともあるのです。



1000年後はそんなことはないでしょうが、現代の人間は、叶わなくてガッカリすることを異様に恐れていて、願いを口に出さないし、そもそも考えもしないという人間が、やたらといる時代なのです。





1000年後の皆さんはこう考えるでしょう。


「自分の願いを自分で考えずに、ではその人は何をしていたのだろうか?」


と。






そう、他者が


「するべき」


と言うことをしていたのです。



2015年の現在も、まだまだそういう時代です。







そういう私自身もその時は、ものすごいタイミング、驚くような縁で、願ったような場所に住むチャンスを得たにもかかわらず、


「やったー!ラッキー!」


と喜ぶことは出来ませんでした。





だって、30代前半で山荘の、しかも人は来ないという、そこの住み込み管理人に夫婦でなる・・・。



「非常識だろ。オレそんなことをしていていいのか」 


と。



そして、


「嫁さんをそんなことにつき合わせて良いのかなぁ・・・」


と、 



「罪悪感」 



が一気に噴き出してきました。






1000年後の人はきっと、


「何が? 何に罪の意識を感じるの?」


とわけが分からないかもしれませんね。




まぁこの時代は、それだけ罪の意識で人をコントロールすることが、まだ上手くいっていた時代だったということです。







なので最初はその話を断るつもりでしたが、「それでも一度見るだけでいいから」と促されて、その山荘を見に行くことにしたのです。





それ以前に自分は一人で××市の探検に来たことがありまして、実はその時の印象はそれほど良くありませんでした。


シャッター街の目立つ 市街地を抜け、山道を走り、しばらく進んだところで、


「ここから先に住める気は絶対にしない」


と感じて引き返し、そのまま帰ったことがあったのです。






その引き返した場所から、



「10mだけ市街地寄りの場所」



に、その山荘はあったのでした。



「だから、ここならオーケーだよね?手前だもんね?」



と、××市の神様が言うのがハッキリと聞こえました。








その時 「ここに来るしかない」 のだなと思いました。



自分は強力な 「流れ」 に、いま乗ってている、これに逆らってはダメだと。





それで私は「罪悪感」を乗り越え、その仕事を引き受けることにしたのでした。








それまでいろんな反応をされながらも、勇気を奮ってあちこち飛び込み訪問していたにもかかわらず、最終的には昔のつながりであっさり進路が決まってしまったことに、結構ガッカリもしたのですが、でも


「そういうことの積み重ねが、引き寄せてくれた」


のだと今は思います。


こうして私たち夫婦は、山の中の渓流脇の山荘に住むことになったのでした。




(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する