1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし⑤
さて私たちは 「誰も来ない山荘の住み込み管理人」 として群馬にやって来ました。
こう言うとシュールで怖い感じですが、実際にはかなり快適でした。
なにしろ千坪くらいの敷地は森林に囲まれ、脇には渓流が流れ、自分たちが住む用に使った建物は5DKの立派な和風住宅でしたから。
逆に、こんな立派な家に住んだことないよいう感じでした。
ただ、家賃がタダの代わりに、給料も特に無いよという条件でした。
それでも最初の1か月を掛けて建物を徹底的に掃除してピカピカにし、その様子を写真付き資料にして会社に送ったところ、
「これでタダじゃ悪いよ」
ということになって、バイト代も月々少しもらえることになりました。
凄く良い会社ですね。
でもこういった
「自分のことを伝える努力」
は田舎暮らしをしていく上では必ず必要になってくると思います。
「自分はどんな人間なのか、何をしていて、何が出来るのか」
田舎暮らしを志す人にの中には、いろんな不安があると思うんです。
でもそれ以上に、引っ越してこられる側にも不安があります。
「あの人はどんな人なのか?何をしている人なのか?」
だって受け入れる側は、相手を選べないし、自分たちは逃げられないですからね。
ですから、受け入れる側の不安を解くために、自分のことを伝える努力が必要になるんです。
1000年後はこういうところはどうなっているのか、私には全く予想できませんがどうでしょうか?
だから、ムーミンに出てくるスナフキンに憧れるような、
「他人からの理解を放棄したタイプ」
の人が田舎暮らしをしようとして、つまづくことになるのがここになると思います。
そうであれば、都会で暮らした方がきっと快適ですよ。
電気も水道も道路も無い山の中に住むなら別ですけど、それはキャリアが無いと、いきなりは出来ないですから。
そうやって、これであとバイトをいくらかすれば、取り敢えず生きていくことは出来る目途が立ちました。
それで 「スポーツクラブの朝のトイレと風呂の掃除」 のバイトを見つけてやることにしました。
何故そういう仕事を選んだかというと、自分はもともと掃除が好きだったのです。
そして、なにしろまだ偏頭痛が酷く、
「もはや好きなことくらいしか出来そうになかった」
からです。
好きなことなら、苦しい時も続けられる、頑張れる、工夫出来るだろうと。
実際にそうでした。
好きなことをするって、甘いようで、実はとても強いことなんです。
だから好きなほうを選ぶべきだと思います。
これから田舎暮らしをするにあたって、そうでなくても、何か判断に迷うことがあったら。
ここで自分にとって良かったのは、群馬に身寄りも何も無かったことですね。
だからフリーターという立場にしろ、アルバイトの種類にしても自由に選べましたし、自分に制限が掛からずに、逆に力を出すことが出来ました。
これが地元へ帰っていたとしたら、こういう風に自由には出来なかったでしょうし、周囲も許さなかったでしょう。
それで普通のことをしようとして、でもそれが上手くいかなくて、
「何故みんなに出来ていることが、自分には出来ないのだ!」
そう自分を責めて、かなりまずいことになっていったと思います。
よく、
「身寄りもいないところに来て大変だね」
と言われましたけれど、いない方が楽ですよ。
だから、
「特にこの場所が好きなわけではないけど、親戚がいて建物をあまらせているから、そこを借りて田舎暮らしをしてみようかなって考えている」
というのであれば私は反対ですね。
好きな場所に住んだ方が、きっと力が出ますし、のちのち困難があっても乗り越えようって気になりますよ。
さて掃除のバイトを始めて、管理人の仕事も殆ど掃除なんで、掃除ばっかりしていて、やっぱり気持ちが卑屈になることも、その頃はありました。
でもいいんだと思っていました。
だって自分は、
「もうある意味で終わったのだ」
位に思っていましたから。
私は 「野心の無い田舎暮らし」 だったんです。
望んでいた田舎暮らしを始められたといっても、心の中では
「自分はもう終わった。 あとは生きていければいい」
という気持ちでいたのですね。
他のしてみたかったようなことは、もうみんな出来なくなってしまっただろうな、と思っていました。
でもそれは違いましたね。
初の田舎暮らし、身寄りもいない土地で、アルバイトの掛け持ちで生計を建てる生活。
やってみると、ちゃんと道が開けていきました。
目の前の 「自分に出来る好きなこと」 をしっかりやっているうちに、
「もう何も出来ない」
から、逆に
「好きなことなら何でも出来るんじゃねぇの?」
に変わっていったんです。
だって実際に好きなことなら出来ているわけですから。
それで私は群馬に来てから、渓流脇で仙人のような生活をして、健康体操教室もやりましたし、自分で空手道場や学習塾もやって凄く強い子も、すごく成績が上がった子も輩出しましたし、旅行も沢山行ったし、毎日社会活動をしていますし、アルバイト暮らしのまま住宅ローンで家も建てて、そこを使って喫茶店まで始めましたから。
昔やってみたいと思っていたようなことは、もうみんな出来ちゃったのです。
それはこういう理屈なんです。
会社員だった頃の自分は、社会的な立場を失うことは、奈落の底に落ちて、二度と這い上がれない、もうアウト、みたいなことだと思っていました。
それは昔の人が海を見て、
「水平線の向こうはきっと滝みたいになっているだろうから、近寄って落ちたらお終い」
と考えていたようなものです。
1000年後の人に笑われるでしょうが。
でも病気が切欠で水平線の向こうに行ってみると、水平線の向こう側は、実際の海がそうであるように、
「たんにさらに広くて豊かな海」
だったのです。
そして自分自身も変わっていきました。
それまでは、水平線の向こうに落ちるのを怖がりながら、陸地の近くばかりを、陸地を目安にして進んでいました。
でも病気のせいで水平線の向こう側へ行くことになり、陸地が見えなくなってしまった。
そのことで、やっとしっかりと
「自分の中の方位磁石」
を見るようになったんです。
この場合の 「陸地」 ってなんのことだと思われます?
そう、「常識」 や、今まで自分が囚われていた古い価値観なんかですね。
つまり群馬という、身寄りもいない未知の地に来て、会社員という縛りも無くなったことで、ようやく
「とらわれずに自己発揮」
出来るようになったんです。
それでやりたいことはなんでも出来るようになったという。
私は群馬に来てから、ようやく生き始めたのでした。
私の「体」が生まれたのは北陸で、「心」がずっと無かったとまでは言いませんけれど、
「魂」
がやっと生まれた、少なくともそれが表に出たのは、群馬に来てからと言っても過言ではないですね。
まさに、
「魂の故郷」
ですよ。
そして今は、その 「魂の故郷」 も、せっかく手に入れた素敵な家も手放して、キャンピングカーでこれから長い旅に出るつもりです。
凄いでしょ?
それは、真の意味で自信が付いたから出来るんです。
私は自信がずっと無くてですね、それで強くなれば自信がつくと思って、強くなったんですが、そのことで自信は全くつかなかったんですよ。
それが群馬に来て、不安定な生活をしているうちに自信がついたという。
分からないものなんです。
そう、やってみるまで分からないことばかりなんですよ。
何が起きるのかも、そして自分がどう変わって、自分の中から何が出てくるかも。
(つづく)