心の術の使用法。
「宇宙に悪魔は存在しない」
塾の仕事が忙しいので、以前書いた文の転載です。
私がカウンセラーとしての仕事をする際、気を付けていることがあります。
一つは、
『相手を脅かして動かすようなことがないようにすること』
恐怖を動機に行動させたのでは、結末も知れているからです。
相手にとっては、そのうち私が悪魔になるでしょう。
もう一つは、
『オカルトを持ち出さない』
ということです。
カウンセラーとしての役割もこなすようになってから、
・不眠を解消する
・偏頭痛を消す
・欲しくもない「壷」のコレクションを止めさせる
といったようなことをしてきました。
相手が殆ど女性なせいもあるのですが、そういった病院に行ってもどうにもならなかったことがあっさり治ると、
「なんかこう・・・肩から憑き物が落ちた気がするっていうか・・・」
と、そういった
「オカルト的な方向に原因を持っていきたがる」
人がおられます。
でもそれではダメですよ。
あくまで自分の中に問題とされるものの原因があるのであって、それを直視し認めないと。
取り憑いていたのが悪霊の類から、私に代わっただけじゃないですか。
医薬業界にとって、
『自分で真剣に治そうという気がない生活習慣病の持ち主』
がお得意様であるように、
霊感商法関係者にとって、
『問題を自分ではなく悪霊のせいにする人』
は格好のお得意様、
な訳ですが、私はそういう人の相手は嫌でして。
そんな必要は私にはないし。
悪霊のせいにして慰めているうちに、次々と問題とされるものを抱えてきて、最後は私が悪霊にされてしまうでしょう。
実際にその時はそうだと思いますね。
私は、
「個人の問題とされるものを解決したり、望みを叶えたり、幸福を感じて生きる、そういったことに、前世だとか守護霊だとか、持ち出すまでもない」
と考えています。
持ち出すまでもないですよ。
こういうところは 『オカルト系武術』 と本当によく似ていますね。
「軽く触れただけで相手を吹き飛ばす」
そんなややこしい技を習得しようとする以前に、
「ピンタ一発で相手の戦意を奪うことが、いま出来ていないのにどうするの?」
という話です。
あなたは何処へ行こうとしているのか?
オカルトを持ち出さないとダメというのは、カウンセラー側が力不足か、
「単に何か別の意図があるか」
相手がどうしても原因をそういう方向にしか考えられない精神段階かの場合か。
でもそういう人は私に会いに来れないですから。
そういったことは、それぞれが、
「望みを叶えて自分の幸福を感じて豊かに生きるようになってから」
それから考えるなり、学ぶなりすればいいことでしょう。
繰り返しますが、
宇宙には悪魔も、悪霊もいません
念押しします。
ですので私はカウンセラーとしては、あくまで
「心の技術」
つまり心術、テクニカルな話しかしません。
そのことをよく覚えておいてください。
「あなたはどちら?宇宙は決意を求める」
「これまでのまとめ」
宇宙には悪魔も、悪霊もいない
徹底して「理詰め」で自分の中にある問題点を洗い出し、認識してもらい、理屈の通った対応策を考えていくわけです。
「エコマン」のように。
(ハトのお嫁さん7巻絶賛発売中! エコマン・・・子供が真似をして怪我をしないように「説得」を駆使して戦う特撮ヒーロー)
なので自分はかなりまともな仕事をしていると自負しています。
それでも批判はされます。
ありがたいことです。
そうやってきっかけをくれる人がいるので、また前に進めるのですから。
感謝します。
それに、殆どの人は批判的に見るんだろうということを、私ももちろん分かっています。
そうでなければ、皆もっと自由に楽しい日々を送っているはずですから。
だからこそ書いているわけです。
こういうことを書いたり、頼まれればカウンセラーやセミナー講師、時には講演まで引き受けているのは、
「単に多くの人にもっと楽しい日々を送ってほしいから」
です。
そういう方法を知っていて、実際にそうしている。
となると、人に伝えたいと思うのが自然でしょう。
悪い噂をたてられてでも。
「自分だけの秘密にしたいと思うんではないかな」と感じるとしたら、それは今よっぽど虐げられた環境か、
「競い合うことが前提の環境」
にいることが当たり前になってしまっているから、そう考えるだけです。
競い合うことが前提ではない環境というのはあるのです。
それは 「創造する環境」 です。
これについては後述します。
ご存知ですか?
マーケティングの研究によると、人に行動を起こさせるには9回、心に響かせねばならず、しかも3回に2回はスルーされてしまうそうです。
つまり27回アクションを起こさなければならないという。
私もその位だろうと思いますね。
「健康も経済も、心配するほど必ず結果は悪くなるのに、何故あなたはそれでもまだ心配するのか?」
なので結局またこういった自己啓発的な話を書いてしまうのですね。
「自己啓発系」の本を読まれたことはありますか?
私は31歳になるまで読んだことはなかったです。
当時の私は偏頭痛が悪化して仕事が困難になってきており、どうしたものかと悩んでいました。
そんな時に一冊の本、
ウェイン・W・ダイアー著 「頭のいい人」はシンプルに生きる
を京王新線若葉台の本屋で偶然読む機会があったのです。
このタイトルは邦題だったのですが、私は何かを期待したわけではなく、
「自己啓発系の本を読むような 『気の弱い種類の人達』 が、こんな高飛車なタイトルの本を手に取るわけがないじゃないか、頓珍漢だな」
と思って、逆に内容が気になり、手に取ったのでした。
読んでみると、内容は予想と違い真っ当なものでした。
現在のダイアー博士は、
「相手が折れるまで主張してみろ!」
といった内容を含むこの本の一部を、なかったことにしたいと思っておられるかもしれませんが、激しい世界で生きていた当時の私にとっては、ちょうど良い内容でした。
私はこの本を参考にして転職し、毎日一時間の自由な時間を手に入れました。
その手に入れた一時間を使い、稽古をしていました。
私は元来生きることがとても怖く、そのため強くなろう若い頃から空手に打ち込み、結果的にとても力んだ苦しい生き方をしていました。
(恐れる→力む→苦しむ→恐れる)
強い人間というのはプロアマ問わず大勢いますが、私もいつくかの大会を制するようになり、客観的にみると強い思われる人間になることは、まぁ出来ました。
しかし生きるのが怖いのは変わらず、幸せを感じるようになるということもなかったのです。
それはダイアー博士の自己啓発本を齧って、転職して多少の時間の自由がきくようになっても変わりませんでした。
その間に、ダイソーで買った100円版
ジェームズ・アレン著 『原因と結果の法則』
も読んでいました。
良い話だな、とは思いましたが、当時は内容の細部を理解することは出来ていなかったです。
生き方が変わったきっかけは、やはり偏頭痛の一層の悪化でした。
殴り合うスパーリングはもちろん、衝撃が頭に響くサンドバック打ちも、当時すでに止めていたのですが、シャドーボクシングのように一瞬力を込めた動作ですら、偏頭痛を引き起こすようになってきたのです。
つまりそれまでの稽古は全て出来なくなってしまいました。
それは、骨が折れたとか、皮が剥がれたといったこととは全く異なり、我慢できない種類の痛みでした。
長年積み重ねてきたものが、こういった傍から見ると「地味な理由」で台無しになってしまうのかと唖然としました。
それでやらないよりはマシだろうということで、全く力を入れないで稽古を始ることにしたのです。
すると、稽古が可能などころかむしろ動きが良くなり、それまで壁だと思っていたところを超えることまで出来るようになったのでした。
「であれば、人生も力まないで、上手く生きるやり方も『あり』なのではないか?」
また、
「自分は選手としてイメージの力(イメージトレーニング)を、稽古する際にも、試合においても使ってきた。何故これを普段の生活には使おうとしないのだろうか?」
ということを真剣に考え始めました。
それが私が深く心の世界に入ったきっかけでした。
そうしてイメージした通りに、
転職先も1年しないうちに辞め、田舎暮らしを模索し、自然あふれる田舎に移住し、犬を飼いたくさん遊ばせ、アルバイトの掛け持ちだけでのんびり暮らす
ようになっていったのです。
(つづく)