心の術の使用法・・・2
慢性的な片頭痛で普通の運動が出来ないまでに追い込まれた私は、
「やらないよりマシ」
という考えから、力を全然入れずに動く稽古を始め、
力を入れずに動く
結果として、それまでの壁を越えて腕が上がり、田舎暮らしを始める直前に7年ぶりに出たある流派の大会で、8年ぶりの優勝までしたのでした。
決勝の相手は以前に練習を見る機会があった若い子で、彼の
「ホームを通過する新幹線のごときパンチ」
を見た時は鳥肌が立った位だったので、この展開は全くもって予想外でした。
この大会はある道場から頼まれて、そこの所属で出たのですが、その道場がこの大会で主催団体サイドともめ、団体を抜けることになったため、自分はまるで後ろ足で砂をかけるために雇われた助っ人のような立場になってしまい、団体との間に埋めがたい溝が出来てしまいました。
その時は傷つきましたが、今となっては武道界と距離を取る良い切っ掛けでした。
また面白いことに、嫁さんの中ではこれがあったことで、未知の田舎暮らしへの不安が消えたと、後で聞かされました。
この人はやっぱりやる時はやる人だと思って安心したそうでした。
力まずに動くことで結果が出たことで、
「であれば、人生も力まないで、上手く生きるやり方も『あり』なのではないか?」
また、
「自分は選手としてイメージの力(イメージトレーニング)を、稽古する際にも、試合においても使ってきた。何故これを普段の生活には使おうとしないのだろうか?」
ということを真剣に考え始めました。
それが始まりでした。
そうしてイメージした通りに、
転職先も1年しないうちに辞め、田舎暮らしを模索し、自然あふれる田舎に移住し、犬を飼いたくさん遊ばせ、アルバイトの掛け持ちだけでのんびり暮らす
ようになっていったのでした。
並行して、何故こうもイメージ通りになるのか、自分の理論を組み建てていました。
それがある程度出来上がって来た頃、バイト先で掃除中に
「今もう十分に幸せだ」
とおもむろに感じたのです。
それからは、今の幸せに満足し感謝しつつも、面白いことに、飛躍的に願ったことは何でも出来るようになっていきました。
そして自分の理論が形になって来た頃から、積極的に他者の考えも学んでみるようになりました。
それはもう古代の賢人から、近世の大富豪まで。
すると、自分が考えついたと思っていたようなことは、既に語りつくされていたことだったということを知ったのです。
であれば、もう私までが話したり、書いたりすることではあるまいと最初は思いました。
というかこんなにいわゆる「自己啓発系」の本が出回っていることが納得いかない。
「『原因と結果の法則』 か 『エマーソン』の著作を読みなさい」
で済ませりゃいい話ではないかとも思いました。
今はそう思っていません。
何故なら、
自己啓発というジャンルは、
幸福論・健康・経済・人間関係などなど、
考えられている以上に様々な側面を持った巨大なもので、
様々な人の多方面の切り口から眺めていかないと、
まず全体像は把握出来ない
また、
「読み手の段階にあったものでないと、理解が困難で近寄ることも難しい」
と考えるようになってきたからです。
なので自己啓発を「ファッション」や「おまじない」の延長のように扱う種類の書籍も、存在意義はあると思っています。
霊感商法にすら、存在意義はあると思っています。
相手にいつかきっと「学び」を与えるでしょう。
そんななかで、私も書こうと思った理由は、私は自己啓発系の世界で教えられる種類のことの成果を、
・誰にでも目に見える形で
・比較的多くの人が納得がいく説明が出来る範囲で
表現出来るようになっていたことによります。
ですので私は自分の話は、何事も目に見えないものは信じず、理論的(実際には感情的ですが)に疑ってかかる男性向けのつもりで書いていますし、それが自分の役割だと思っています。
自己啓発系の世界は、非常に効果的な知恵に満ちた世界であると同時に、あやうい世界でもあります。
繰り返しますが、「あやうい世界」 でもあります。
私の出身母体である、武道・武術の世界と非常によく似ています。
一般の人、特に男性が基本的に自己啓発のジャンルを嫌悪し避けるのは、そういった 「あやうい面」 ばかりが、世間では
意図的に強調されている
せいもあるでしょう。
先日、本屋に行った際に「武道・武術コーナー」の書棚を見たところ、驚いたことに8割の書籍が「実際には戦ったことのない人」によって書かれたものでした。
奇妙に感じませんか?
レーシングドライバーとしての実績はおろか、公道での運転経験すらなく、教習所内しか走ったことがない人が、
「ドライビングテクニック」
の本を出しているのと同じです。
またそういった人ほど、口だけで「脱力しろ」や「気をつかえ」と言ったり、自己啓発系の世界の人と絡むことが多いのですね。
なので実際に競い合う競技を行っている男性は、そういった「文字武芸者」とセットで、自己啓発系の世界を非常に嫌う人が殆どです。
もったいないことだと思います。
そしてこの現状を何とかしようと思っています。
はっきり言いますと、実際の戦いの場で、
「脱力」
することは凄く難しいんです。
相手の渾身のパンチを顔に食らうというのは、ちょっとした交通事故に会うくらいの衝撃なのです。
蹴りがみぞおちに入れば、この世の終わり位に苦しいのです。
実際に戦うのは経験を重ねても怖くて緊張するものです。
力んでしまうんです。
その状況で脱力するには、センスかキャリアを伴った高度な技術が要ります。
一般の多くの人向けの空手や格闘技が、「力んだ」動きで構成されているのは、それを知っているからなんです。
実際に戦わない人は、それを知らないから気安く 「脱力」 と言えるのです。
だから私は、
「真剣勝負の中で、力まずに戦い、そして結果を出せるのか」
それを体現したい気持ちもあって、その大会に出たところもありました。
同じように、現実の人生の中で、「心の技術」を実践して見せたかったのです。
その為に、フリーターの立場のまま、家も建てて見せたのです。
理論(文章)だけでなく、実際にやって(生きて)見せること。
私の自己啓発の世界での役割は、そういうことだと思っています。
では、
心の技術・・・「心術」
についてざっと説明します。
その前に、ここを通過してください。
どちらになりたい、
もしくは、
どちらで在りたいか。
世の中を肯定する、幸せ感じて生きている人
を選択する人だけ、
「決意」
して読み進めてください。