1000年後へのブログ・・・偏頭痛を治そう④
田舎暮らしを始めて1年後。
我々はこれといった挫折も無く過ごしていました。
畑なんかも少しやってみましたが、やってみると自分は農業にむいていなかったです、でも土木は好きだったという。
でももともと、
「農業で身を立てるぜ!」
とかいう感じではなかったので、ぜんぜん困らなかったですし、その他でも問題らしいことは無かったです。
「健康のために田舎に逃げる、頭痛が治って生きていければいい」
というのがスタートで、
「○○で△△しよう!」
といった、
「崇高なテーマ」や「野心」
が無かったので、逆に
「現実のギャップ」
にぶつかるというようなことが起きにくかったのでしょう。
こういう生活になって困っていること、後悔してること、何かあるかと夫婦でよく議論するようにしていたのですが、
「何も、無いなぁ・・・」
がいつも結論でした。
実際に悪い生活ではなかったのです。
私たちは山の中の「無人山荘の住み込み管理人」として田舎暮らしをスタートしました。
渓流脇の木々に囲まれた中、5DKの欄間建具をふんだんに使った日本家屋に住んでいました。
仕事はその管理と、スポーツクラブの風呂とトイレ掃除の早朝バイト。
掃除はもともと好きだったので、最初は軽いぎっくり腰を連発したり、気持ちが卑屈になったりしましたが、大きな組織の中での仕事と違い、
「成果が目に見える仕事」
は精神衛生上非常に良いこともあり、割と楽しくこなしていました。
風呂掃除の様な蒸し暑い中での汗をかきながらの軽作業は、偏頭痛には結構良かったと思います。
その後、スポーツクラブでトレーナーも始め、それで何とか生計は立ちました。
もっとも収入は半減とかになったわけですが、出費も減ったのです。
それも、
「不本意な出費」
ですね。
病院代とか、薬代、疲れ切った時にはグリーン車を使ったり、落ち着いて食事出来ないと胃が痛くなったりするので高めの店で食べていた昼食代とか。
だから辛いとか寂しいとかもなかったです。
その後、綺麗になった山荘には夏など非常に多くのお客さんが来られるようになり、
「家が民宿化してしまう」
ということが起こるようになってきました。
「いつも熱心にモップ掛けをしている綺麗好きな君に、住んで欲しい古い家があるんだ」
と声を掛けられ、旧市街地にある古風な一軒家を格安で貸して頂けることになったのでした。
そこは常連さんのお母さんが急病で救急車で運ばれてから2年、そのままになっていたとかで、布団もその日の朝のままの状態でした。(とはいえ、お祖母さんは健在でした)
その家を大家さんと二人で一夏掛けて懸命に片づけました。
今度の建物は、5Kの平屋。
築50年で、廊下は大昔の学校のような板張り、壁は土壁、窓枠も木製で網戸無し。
まさに「昭和の家」といった感じです。
通気が良く、化学物質も全然出ていなかったため、室内の空気が綺麗で呼吸が楽でした。
これも偏頭痛予防には良かったです。
『偏頭痛を治すコツ』
・換気をしっかり行う事。出来れば科学物質の少ない環境に住みたい
・100円ショップなど、ニオイのキツイ店舗には出入りしない
家の周りをブロック塀で囲まれていたので、ワンコも山にいた時と同じように自由に放せました。
どうせ壊すつもりだったから、好きにリフォームして良いよと言われていたので、壁をぶち抜いて抜け穴を作ったり、楽しんでいました。
そうやって、体を使って楽しんでいると、頭痛の頻度はみるみる減ってきたのです。
しかし、完璧に無くなるかというとそうではなく、それにはまだ時間が掛かったのでした。
偏頭痛の原因は、「体」、それと「心 」にあるように見えて、実はほとんどの場合「心」の問題が根底にある
と前回に書いていました。
田舎暮らしを始めてみて、体はわりとすぐに変わりました。
空気は良いし、外食は減るし、体を動かすようになりますから。
でもそういったことだけで偏頭痛が完全に治るかというと、私の場合は無理でした。
「田舎暮らし」
を始めたからといって、肝心の心がすぐに変わるわけではなかったからです。
「食べ続けていくことは出来るだろうか?」
「世間は我々のことをどう見ているだろうか・・・?」
様々な不安がありましたから。
そういった思いが、自分の心を、結局は体を硬直させ、偏頭痛というかたちで痛みとなって表れていました。
繰り返しますが、
「田舎暮らし」
を始めたからといって、それですぐに偏頭痛が治るということは、私に限らずないと思います。
病院で何度か精密検査して異常が「見つからない」場合、まず偏頭痛の原因は、
「体ではなく、心」
です。
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とはいえ、1000年後は検査技術も発達して、「目に見える肉体的な異常」が見つけられるようになっているのかも分かりませんけれどね。
しかし、現在の医療技術では体の異常が見つけられないのであれば、「心」からアプローチしていくしか、今はないのですから。
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田舎暮らしを始めたといっても、それだけで問題の「心」が根本から変わることはないからです。
かといって、勧められるままに心療内科に行って、精神安定剤や筋弛緩剤を貰ってきて飲めば治るのかというと、そんなことは決してない。
少し長い目で見れば、より悪くなるだけです。
結局はどこで暮らしているにせよ、
自分の「心の問題」と向き合い、
根本からそれを解決しないと偏頭痛は治らないのです。
その為には自分の「生き方」から見直さなくてはならなくなります。
そしてその為には自分の「考え方」から見直していくことになります。
そうです。
偏頭痛を治すということは、
「自分とは何か?」
という問題と向き合うことになってくるのです。
もっと親しみやすく言いますと、
「幸せになれば、偏頭痛は治る」
のです。
言い換えると、
「あなたの偏頭痛が治るころには、あなたは幸せな人になっている」
ということでもあります。
ですから今、偏頭痛で苦しんでいる人は、
同時に大きなチャンスを掴みかけてもいる
のです。
だって病気でもなければ、人は日常を詰め込みすぎて、こういうことを真剣に考えません。
それに偏頭痛はもちろん辛いものですが、かといって数年後に死亡する、というものでもないのですから。
偏頭痛がなければ、私は田舎暮らしを始めることも、続けることも出来なかったと思います。
偏頭痛があったからこそ、
「田舎暮らしするしかないじゃないか・・・」
と決意出来たのです。
そして、偏頭痛があったからこそ、
「今はしょうがないじゃないか・・・」
と気持ちが不安定になりやすい時期を乗り切ることも出来ました。
田舎暮らしを始めて、良い環境の中で体を動かす生活をして・・・。
でも、やっぱり不安は心に常につきまとっていましたのです。
「ずっと食べていくことは出来るのだろうか?」
「周囲は我々のことをどう見ているのかなぁ・・・」
と。
やはり悩むところでした。
深刻に。
私にとって「幸い」だったのは、私がこういう生活を始める切欠として
「どうにもならない偏頭痛の痛み」
があり、それがまだ残っていたということです。
「だから、しょうがない」
と思えたのです。
それがなければ、こういう生活を続けることは、私の場合は
「罪悪感」
が許さなかったでしょうし、繰り返しますがそもそも田舎暮らしに踏み出すこともとても出来なかったでしょう。
少なくとも30代では出来なかったと思います。
一般に、人が生活に「最初の」大きな変化を起こせるとしたら、殆どの人は
・病気
・大きな事故
・破滅的な人間関係
という切欠しかないのではないかと思います。
そうではない人は相当強い人で、おそらく偏頭痛で悩んだりしないでしょう。
なので上記のことは見方によっては不幸なことではありますが、そうでないとも言えます。
私が最初の一歩を踏み出し、そして新しい生活の基礎つくりの時期を乗り越えられたもの、まさに
「偏頭痛のおかげ」
でした。
だから、良かったのです。
本当に、偏頭痛は天からの贈り物だったのです。
それは同時に、
いつまでも自分の状況を「偏頭痛のせい」にしていては、偏頭痛は治らない
ということでもありました。
つづく。