1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

心の術の使用法・・・5



ここからは、



『何故、順次戦略的にまず心で「目標・夢」を明確にすると、それに見合った「環境・状況」が作り出されるのか』


そこを説明していきます。







「損か得か」




私は、


「宇宙を向上させること」



をテーマに掲げて生きてます。





宇宙は「陰と陽」を繰り返しながら、「ゆらぎ」ながら拡大し向上していきます。



尺取虫が「伸びると縮む」、伸縮を繰り返して進んでいくように。






私はその、



「ゆらぎの為のエネルギーになる存在でありたい」



と思っています。





誤解されがちなんですが、陰側でも陽側でも、伸側でも縮側でも、「力む」側でも「脱力」側でも、本当はどちら側でもいいのです。



オレはもともと怖がりですし、怒るのも力むのも好きです。






もう少し具体的に言うと、その為に私は、



「人がより洗練されること」



を目指しています。







それをさらに具体的に言うと、



「人が恐れから行動せず、魂の声に従って行動するようになること」


「心の力をより使うようになること」



を目指しています。





だから「伸」側ですね。



今の世の中は「縮」側が多すぎるから。






もっと具体的に言うと、



「恐れず、怒らず、愚痴らず、不足を訴えず、力まず、明るい動機で行動する人を増やすこと」



「何ごとにおいても、イメージトレーニングを取り入れることを広めること」



を目指しています。








その為に私は、



「田舎暮らしのフリーターとして、好きなことだけを仕事にし、結構人の役にも立って生きてます」





ぶれていません。




先に「目標・夢」を明確にしてしまう「順次戦略」の強さはここにあります。



ぶれにくくなる。



無駄使いをしないようになるのです。









世間を見ていてよくわかる、共通した



「頑張っている、優秀である、にも関わらず夢を叶えられない人の2大悪癖」


の一つが、



ぶれている


ことです。









「楽しい人生を送りたい」



と口では言っておきながら、



「常に効率のいい選択をする」








「健康になりたい」



と言っておきながら、



「暴飲暴食を止めない」








「家庭を大切にしたい」


と言いながら、


「事務のお姉ちゃんに色目を使う」




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宇宙的にはその選択自体に「善悪」はありません。



山海の珍味を味わい尽くし、



愛の無い所に愛をもたらす、



大いに結構。



ただ、ぶれているのです。



あえて言えば、ぶれていることが罪悪なのです。











「世の中を良くしたい」


そう言っていて、ましてや社会や他人を批判しているのであれば、



駅までどの道を歩くか、


どんな店で何を食べるか、


どんな車に乗り、


どんな音学を流すか、


どんな顔で挨拶するか、



あなたの「全て」の選択に、その思いを反映させるべきですね。









『何故、順次戦略的にまず心で「目標・夢」を明確にすると、それに見合った「環境・状況」が作り出されるのか』



いわゆる「思考は現実化する」の法則。



まず、



【その②】


「思考したことが現実化している」そのことと冷静に向き合い考え、受け入れること



ここをしっかり納得していないと、多くの人がそうであるように一時の興味本位だけで終わってしまいます。







殆どの人はこの法則を信じませんが、実際には思考したことはほぼ叶っています。



叶っていないことは人生の中で殆どありません。






今日何か自分の思考に反することが起きましたか?



「会社に行きたくないのに、行ったさ」



って?





行きたいから行ったんじゃないですか。




会社を休んで、


怒られたり、給料が減ったり、同期に先を越されたり、家族が変な顔したりしたら嫌だし、


休むと電話すること自体が休むことより緊張して大変だから、


会社に行った方がマシと判断して、


自分から行ったんですよ。



思考が現実化したわけです。





仮に家に押しかけて来た上司に車で拉致されたとしても、車内で戦ったり、失禁して車外に放り出されるよりはマシと思ったから、そのまま運ばれたわけですよね。







休むと決めたのに、体が勝手に動き出して会社まで歩いて行き、終業まで意に反して過ごし続けたと、いう人はいないのです。



だいたいのことはこれで説明つきます。






仮にそうでないケースがあったとして、


「これまでの人生の出来事の中で何パーセントですか?」




目を覚ます

目覚ましを止める

起き上がる


服を着替える


部屋からでる


父さんが「おはよう」と言ったから、「おはよう」と言うなり、無視するなりする・・・・・・・・・



そういった一つ一つの中の0.0001パーセントもないくらいでしょう。









その極僅かなケースを引き合いに出して、「思考は現実化する」ことを否定するのは無茶だし、なにより


「自分にとって損」


です。





私の生活環境だと、100人に気持ちよく挨拶したら、97人は気持ちよく返してくれます。



良くない環境にいる人だと、3人中2人、66.6パーセントしか返してくれないかもしれませんね。



それでもまだお互いにプラスをもたらす方が多いわけです。



人間には、



『否定的偏向(ネガティブバイアス)』



があり、たくさんのプラスのケースよりも、たった一つのマイナスのケースを何時までも強烈に覚えているように出来ています。





原人時代からの『生き残るために悲観的に物事を考える思考回路』がまだ残っているのです。



そしてあなたを苦しめているのです。






傷つきたくない一心で、「思考が現実化している」と言われても、即座にレアケースを持ち出して来て否定してしまうのですな。



しかし、



「思考は圧倒的に現実化している」



それが現実です。






であれば、思考はプラス、ポジティブなものに、心から願うものにした方が、



「自分にとって得」



です。



「思考は現実化している」



納得していただいたところで、次へ進みます。



(つづく)


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