1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし②
前回の記事で、
「手前味噌とは、自分の家で作った味噌の味を自慢することで、自分で自分のことを誇ることを表すこの時代の諺」
と書きましたが、2015年の時点で「家庭で自家製味噌を作っている」ケースというのは、元気な7.80代のおばあちゃんか、よほど食と健康にこだわっている人が家族にいる、田舎に住んでいる農家の一部くらいではないかと思われます。
毎日口に入れる調味料を丁寧に選ぶという発想は、まだごく一部の人しか持っていない2015年です。
第二次世界大戦後の高度経済成長に伴い、物質的な豊かさに恵まれ始めた日本。
それが一度頂点に達しつつあった頃に、
「そんなものはくだらない、レールに乗った生き方を否定しろ、脱サラしてラーメン屋を開業してみせろ!」
というプロパガンダを始めたメディア。
そういった時代の空気の中で育てられた私は、「就職氷河期」の到来に伴う敷かれたレールが足りなくなる事態とか、そんなことと関係なく、学校を出たらすぐに働こうという発想はそもそも持っていませんでした。
「まさか!」
という感じでした。
大学はわりと流行作家などを輩出している文学部に通っていたのですが、ですからクラスメートの多くが3年の秋から就職活動を始めるのを見た時は、心底驚きましたし、
「彼らは少し変わっているのだろう。少なくとも文学部の生徒としては」
そう真剣に思っていました。
就職などせずに、社会の中で迷走し、そこから何かを生み出すのが、少なくとも文学部出身者の役割ではあるまいか、真剣にそう考えていたのです。
今もそう思っているかもしれません。
ですからそれからの数年で、メディアが「格差社会」や「勝ち組・負け組」といった言葉を使って、
「経済的視点からばかり見た貧しさ」
に対する恐怖心を煽るプロパガンダに切り替えるのを見せられた時は、まぁ大人に対してガッカリしたのでした。
とはいえ、しょうがないと思うのです。
プロパガンダを創り出す側にしても、初めて体験する国家レベルでの豊かさの中で何をしたらいいのか、世界規模での経済の浮き沈みの中で何をしたらいいのか、よくわかっていなかったのでしょうから。
なので、
「悪いタイミングで、梯子を下ろされた」
そういった就職氷河期世代の一員としての恨みみたいなものは、私には無いですね。
むしろ良かったと思っています。
「自由にしろ!」
と子供の頃は言って育てられ、
大人になる頃には、
「自由にやっていいからさ、まぁなんとか生きてよ」
と言われたわけで。
おかげで罪悪感のようなものを比較的感じずに、新しい生活を始めやすかったと思います。
逆に私たち氷河期世代より下の、そういった「経済的視点からばかり見た貧しさ」に対する恐怖心を煽るプロパガンダの中で育った世代の方が私は心配です。
接してみると、やはり貧困意識がかなり強いことが多いので。
とはいえ、彼らの世代はスタート時点でいろんなものが安価に揃っている世代でもありますから、憐れむことはないでしょうし、私と同じ様に、彼らも憐れまれたくなどないでしょう。
「いつの時代も良い時代」
です。
1000年後の人々は、きっと全員がそう考えるだけの哲学を持っていることでしょう。
さて比較的自由に自分の進路を選べた氷河期世代の私といえど、26歳になってようやく勤めた会社を30代前半で辞め、一般的な社会の枠から飛び出すことを決意することは、かなり難しいことでした。
2015年の現在において、人が生活に大きな変化を起こそうとする時、それは
「病気、経済問題、人間関係の破たん」
だいたいこの3つか、これらがまとめてきた時くらいではないかと思います。
そうもないのに生活に変化を起こせる人は、いつの時代も相当強い人ではないでしょうか?
私はそうではなかったですね。
だからこの3つの出来事は悪いことではありますが、考えようによっては大きなチャンスでもあります。
1000年後のあなたにも、そう考えていただきたい。
私が「田舎暮らし」を考え出したのは32歳の時で、きっかけは病気でした。
(つづく)