1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

1000年後へのブログ・・・2010年田舎暮らし⑥

分からないものでした。



そう、田舎暮らしにしても、格闘技を始めるのにしても、やってみるまで分からないことばかり。



何が起きるのか、そして自分がどう変わって、自分の中から何が出てくるかも。




やってみるまでわからない、だから気になったことは、それは何かのサインがあると思って、やってみるしかないと思います。








もし田舎暮らしを始めてみたら、その前の自分と、田舎暮らしを始めて時間が経った後の自分は、別人になっていると思います。



またそれでいいんです。





田舎暮らしやJターンを始める人の中には、




「生活環境は変えたいけれど、自分というものは変えたくない」




という人が割とおられるんですが、それだとあまり生活を変える意味が無いと思います。





生活環境だけを変えるのなんて、オーディオを変えるようなもんで、最初は良い音になったなと感じても、直に耳に同じになりますよ。





生活環境を変えるということは、あくまで自分を変えるためのチャンスであり、手段なんです。






それが面白いんです!



だから新しい力が出るんです!




そんな調子だからこそ、新しい生活も成功するんです!






それまでの自分に対するとらわれ、それを捨てた時に、可能性が弾けるんです!








ですから、もし田舎暮らしを始めるとしたら、最初は



・選択肢の多い場所



・方向転換が容易な場所




からスタートした方が無難だろうなと、私は思います。




実際にやってみて、自分の中から何が出てくるかはわからないですから。







そういった意味でも、北関東は良い所でした。



キャラクターが薄いですし、首都圏からなまじ近いことも原因で、旅情が無いと田舎暮らしの場所として人気が無いわけですが、



それはまさに、選択肢が多いし、方向転換が簡単ということですから。






ここまで書いてきましたように、たとえ今、どんな難しい状況にあったとしても、まず出来ることでひとつ、行動してみることが大事でした。



それは1000年後も、いつの時代もそうでしょう。



どんな、どんなに難しい状況にあったとしてもです。








そこから道が開け、自分の中も外も、そして周囲の反応も、起きる出来事も変わって行きます。



そう、自分が行動すると周りも意外と変わるのです。






ですから、



「自分の力じゃこれは出来ないからもう無理だ」



と考えては損です。






自分の力だけで、物事が起きるわけではないですから。






自分が本気で行動すれば、その本気が伝わることで、周りは変わります。




奥さんが 「田舎暮らし、私は嫌よ、あなた一人で行きなさいよ」 と今は言っていたとしても、変わってきます。





その為にも、本気が伝わるようにするためにも、自分が本当に好きな場所、好きなことを選ぶべきです。




そうでないと、新しい生活の魅力を相手に伝えることは出来ないですから。






「群馬って良い所だと思うんだ・・・、ウナギの養殖って儲かるらしいんだ・・・」




と言われて応援しようと思いますか?





「・・・そうか、頑張って!・・・って言っていいのかな?」




って相手は思うでしょう。





それでは当然協力は得られません。







ですから田舎暮らしをするのなら、本当に好きな場所、好きなことを選んで、行動を起こしてください。




そもそも好きなことはやってりゃその時点で成功、失敗は無いのですから。







最期に、行動するにあたって、根底に、




「一つのイメージを常に意識し守り続ける」




それは必ずして頂きたい。






そうでないと、




やみくもにいろいろな行動をしても、遠回り、遠回りの連続になって、結局何処にも辿り着けない




ということも、やはり起きると思います。





というか、まずそうなるだろうと思います。









 私が田舎暮らしを目指すにあたっての、根底のイメージはこういうものでした。




「平日の昼間から、犬をたっぷり散歩させている自分の姿」



埼玉のはずれに転職した際に、会社の窓から、隣の河原を犬と散歩しているお年寄りの姿をよく見かけていたんです。



その時に、強く強く思いました。



「オレは今すぐに、ああしたい!」



と。



そしてその思いは、ブレずに守り続けていました。






そういったイメージは、灯台の明りの様なものなんです。



暗い中で七転八倒じゃいと感じるような時期があっても、その光さえ見失っていなければ、這ったままでもいつかは辿り着けます。




ですから、


今日から必ず、


何時でも思い出せる大切な未来のイメージをひとつ、


心の中で養っていってください。






シンプルなものでいいんですよ。


1000年後の人にとっては、学校で習うようなことでしょうか?



もしそうなら嬉しいですね。







「田舎暮らしをするぞ」編 おわり。





1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし⑤




さて私たちは 「誰も来ない山荘の住み込み管理人」 として群馬にやって来ました。




こう言うとシュールで怖い感じですが、実際にはかなり快適でした。





なにしろ千坪くらいの敷地は森林に囲まれ、脇には渓流が流れ、自分たちが住む用に使った建物は5DKの立派な和風住宅でしたから。




逆に、こんな立派な家に住んだことないよいう感じでした。






ただ、家賃がタダの代わりに、給料も特に無いよという条件でした。





それでも最初の1か月を掛けて建物を徹底的に掃除してピカピカにし、その様子を写真付き資料にして会社に送ったところ、


「これでタダじゃ悪いよ」


ということになって、バイト代も月々少しもらえることになりました。




凄く良い会社ですね。







でもこういった



「自分のことを伝える努力」 



は田舎暮らしをしていく上では必ず必要になってくると思います。





「自分はどんな人間なのか、何をしていて、何が出来るのか」







田舎暮らしを志す人にの中には、いろんな不安があると思うんです。




でもそれ以上に、引っ越してこられる側にも不安があります。



「あの人はどんな人なのか?何をしている人なのか?」




だって受け入れる側は、相手を選べないし、自分たちは逃げられないですからね。





ですから、受け入れる側の不安を解くために、自分のことを伝える努力が必要になるんです。




1000年後はこういうところはどうなっているのか、私には全く予想できませんがどうでしょうか?





だから、ムーミンに出てくるスナフキンに憧れるような、



「他人からの理解を放棄したタイプ」



の人が田舎暮らしをしようとして、つまづくことになるのがここになると思います。





そうであれば、都会で暮らした方がきっと快適ですよ。



電気も水道も道路も無い山の中に住むなら別ですけど、それはキャリアが無いと、いきなりは出来ないですから。








そうやって、これであとバイトをいくらかすれば、取り敢えず生きていくことは出来る目途が立ちました。





それで 「スポーツクラブの朝のトイレと風呂の掃除」 のバイトを見つけてやることにしました。



何故そういう仕事を選んだかというと、自分はもともと掃除が好きだったのです。






そして、なにしろまだ偏頭痛が酷く、



「もはや好きなことくらいしか出来そうになかった」



からです。






好きなことなら、苦しい時も続けられる、頑張れる、工夫出来るだろうと。 





実際にそうでした。



好きなことをするって、甘いようで、実はとても強いことなんです。







だから好きなほうを選ぶべきだと思います。 


これから田舎暮らしをするにあたって、そうでなくても、何か判断に迷うことがあったら。







ここで自分にとって良かったのは、群馬に身寄りも何も無かったことですね。



だからフリーターという立場にしろ、アルバイトの種類にしても自由に選べましたし、自分に制限が掛からずに、逆に力を出すことが出来ました。



これが地元へ帰っていたとしたら、こういう風に自由には出来なかったでしょうし、周囲も許さなかったでしょう。





それで普通のことをしようとして、でもそれが上手くいかなくて、



「何故みんなに出来ていることが、自分には出来ないのだ!」



そう自分を責めて、かなりまずいことになっていったと思います。







よく、


 「身寄りもいないところに来て大変だね」 


と言われましたけれど、いない方が楽ですよ。





だから、



「特にこの場所が好きなわけではないけど、親戚がいて建物をあまらせているから、そこを借りて田舎暮らしをしてみようかなって考えている」



というのであれば私は反対ですね。




好きな場所に住んだ方が、きっと力が出ますし、のちのち困難があっても乗り越えようって気になりますよ。









さて掃除のバイトを始めて、管理人の仕事も殆ど掃除なんで、掃除ばっかりしていて、やっぱり気持ちが卑屈になることも、その頃はありました。



でもいいんだと思っていました。





だって自分は、



「もうある意味で終わったのだ」



位に思っていましたから。







私は 「野心の無い田舎暮らし」 だったんです。





望んでいた田舎暮らしを始められたといっても、心の中では



「自分はもう終わった。 あとは生きていければいい」



という気持ちでいたのですね。







他のしてみたかったようなことは、もうみんな出来なくなってしまっただろうな、と思っていました。







でもそれは違いましたね。



初の田舎暮らし、身寄りもいない土地で、アルバイトの掛け持ちで生計を建てる生活。




やってみると、ちゃんと道が開けていきました。







目の前の 「自分に出来る好きなこと」 をしっかりやっているうちに、



「もう何も出来ない」 



から、逆に




「好きなことなら何でも出来るんじゃねぇの?」




に変わっていったんです。





だって実際に好きなことなら出来ているわけですから。






それで私は群馬に来てから、渓流脇で仙人のような生活をして、健康体操教室もやりましたし、自分で空手道場や学習塾もやって凄く強い子も、すごく成績が上がった子も輩出しましたし、旅行も沢山行ったし、毎日社会活動をしていますし、アルバイト暮らしのまま住宅ローンで家も建てて、そこを使って喫茶店まで始めましたから。








昔やってみたいと思っていたようなことは、もうみんな出来ちゃったのです。











それはこういう理屈なんです。





会社員だった頃の自分は、社会的な立場を失うことは、奈落の底に落ちて、二度と這い上がれない、もうアウト、みたいなことだと思っていました。






それは昔の人が海を見て、



「水平線の向こうはきっと滝みたいになっているだろうから、近寄って落ちたらお終い」



と考えていたようなものです。




1000年後の人に笑われるでしょうが。




でも病気が切欠で水平線の向こうに行ってみると、水平線の向こう側は、実際の海がそうであるように、



「たんにさらに広くて豊かな海」



だったのです。









そして自分自身も変わっていきました。




それまでは、水平線の向こうに落ちるのを怖がりながら、陸地の近くばかりを、陸地を目安にして進んでいました。




でも病気のせいで水平線の向こう側へ行くことになり、陸地が見えなくなってしまった。





そのことで、やっとしっかりと



「自分の中の方位磁石」



を見るようになったんです。







この場合の 「陸地」 ってなんのことだと思われます?



そう、「常識」 や、今まで自分が囚われていた古い価値観なんかですね。







つまり群馬という、身寄りもいない未知の地に来て、会社員という縛りも無くなったことで、ようやく



「とらわれずに自己発揮」



出来るようになったんです。



それでやりたいことはなんでも出来るようになったという。








私は群馬に来てから、ようやく生き始めたのでした。




 私の「体」が生まれたのは北陸で、「心」がずっと無かったとまでは言いませんけれど、


「魂」


がやっと生まれた、少なくともそれが表に出たのは、群馬に来てからと言っても過言ではないですね。





まさに、



「魂の故郷」



ですよ。









そして今は、その 「魂の故郷」 も、せっかく手に入れた素敵な家も手放して、キャンピングカーでこれから長い旅に出るつもりです。





凄いでしょ?


それは、真の意味で自信が付いたから出来るんです。 








 私は自信がずっと無くてですね、それで強くなれば自信がつくと思って、強くなったんですが、そのことで自信は全くつかなかったんですよ。





それが群馬に来て、不安定な生活をしているうちに自信がついたという。





分からないものなんです。



そう、やってみるまで分からないことばかりなんですよ。



何が起きるのかも、そして自分がどう変わって、自分の中から何が出てくるかも。




(つづく)

1000年後へのブログ・・・2010年田舎暮らし④


身体を壊したことで都落ちし、一度埼玉のはずれに住んだことで、群馬の魅力に気付けたのでした。




それから群馬中を走り回って、

「ここ良いな!」


と思う場所があったら、すぐにそこの役所に飛び込んで、


「良い所ですね!住みたくなったんですが何か定住支援などはしておられませんか?」


というのを繰り返しました。




好意的な反応、そうでない反応、いろいろありました。



でもそうやって続けていって、新規移住者に協力的であることをアピールしているのは〇〇村と、今住んでいる××市だけということが分かってきました。




「過疎化」


という言葉が生まれてこの時既に40年近くたっていたのですが、役所の対応はこの頃はまだそれくらいでしたね。



今は、


 「新規移住者募集!協力します!」


的なアピールをしている自治体はもっと増えていると思うんです。



でもそういうのも、一朝一夕で上手く出来るものではなくて、自治体の方も積み重ねがいりますから。


その自治体がどれくらい前からそういった活動をしていたのか、初期の失敗サンプルにならないように、そこはチェックしても良いと思います。





農協や森林組合が移住の窓口となっているところもいくつかあり、片っ端からあたってみたのですが上手くいきませんでした。



なぜならこういう組織は私たち夫婦のような、


「逃避的田舎暮らし」


のタイプではなく、あくまで即戦力となる人材が欲しいということが前提としてあるからです。



森林組合は飛び込み訪問して、3つの組合で面接にこぎつけたのですが、全て落とされました。



みんな見る目があったなと思います。


たしかに私は、入ってもすぐに辞めただろうと今は思います。





そうやって模索しているうちに思わぬ話が来ました。



それは、


「××市の山中に、誰も使っていない山荘があるのだが、そこにタダで住んでもらって構わないから、管理人をやってみないか」


というものでした。




その山荘は、昔自分が倉庫で荷物を担いでいた東京の会社の保養所という扱いになっていて、


「でも汚いから誰も使わない、そしてますます汚くなる、の悪循環で困っている」


とのことでした。



自分は常々、

「群馬の山の中で暮らしてぇ」

と、



願いをちゃんと口に出す



ようにしていたのですが、その話が巡り巡って社長の耳にまで届き、


「じゃあ彼にお願い出来ないもんかね?」


ということになったのでした。





そう、願いは口に出していると、こういうこともあるのです。



1000年後はそんなことはないでしょうが、現代の人間は、叶わなくてガッカリすることを異様に恐れていて、願いを口に出さないし、そもそも考えもしないという人間が、やたらといる時代なのです。





1000年後の皆さんはこう考えるでしょう。


「自分の願いを自分で考えずに、ではその人は何をしていたのだろうか?」


と。






そう、他者が


「するべき」


と言うことをしていたのです。



2015年の現在も、まだまだそういう時代です。







そういう私自身もその時は、ものすごいタイミング、驚くような縁で、願ったような場所に住むチャンスを得たにもかかわらず、


「やったー!ラッキー!」


と喜ぶことは出来ませんでした。





だって、30代前半で山荘の、しかも人は来ないという、そこの住み込み管理人に夫婦でなる・・・。



「非常識だろ。オレそんなことをしていていいのか」 


と。



そして、


「嫁さんをそんなことにつき合わせて良いのかなぁ・・・」


と、 



「罪悪感」 



が一気に噴き出してきました。






1000年後の人はきっと、


「何が? 何に罪の意識を感じるの?」


とわけが分からないかもしれませんね。




まぁこの時代は、それだけ罪の意識で人をコントロールすることが、まだ上手くいっていた時代だったということです。







なので最初はその話を断るつもりでしたが、「それでも一度見るだけでいいから」と促されて、その山荘を見に行くことにしたのです。





それ以前に自分は一人で××市の探検に来たことがありまして、実はその時の印象はそれほど良くありませんでした。


シャッター街の目立つ 市街地を抜け、山道を走り、しばらく進んだところで、


「ここから先に住める気は絶対にしない」


と感じて引き返し、そのまま帰ったことがあったのです。






その引き返した場所から、



「10mだけ市街地寄りの場所」



に、その山荘はあったのでした。



「だから、ここならオーケーだよね?手前だもんね?」



と、××市の神様が言うのがハッキリと聞こえました。








その時 「ここに来るしかない」 のだなと思いました。



自分は強力な 「流れ」 に、いま乗ってている、これに逆らってはダメだと。





それで私は「罪悪感」を乗り越え、その仕事を引き受けることにしたのでした。








それまでいろんな反応をされながらも、勇気を奮ってあちこち飛び込み訪問していたにもかかわらず、最終的には昔のつながりであっさり進路が決まってしまったことに、結構ガッカリもしたのですが、でも


「そういうことの積み重ねが、引き寄せてくれた」


のだと今は思います。


こうして私たち夫婦は、山の中の渓流脇の山荘に住むことになったのでした。




(つづく)