1000年後へのブログ 氷河期世代のとらわれない暮らし

ある氷河期世代の、常識や過去の経験にとらわれない、暮らしいろいろを題材にしたブログです。

1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし③


私が田舎暮らしを考え出したのは32歳の時で、きっかけは病気でした。



時に気絶する位の偏頭痛が頻繁に起こるようになってしまって、サラリーマンとして、やっていけなくなってしまったからです。



いくら検査しても原因は不明でした。



1000年後の人は驚くかもしれませんが、この時代は偏頭痛はもちろん、多くの病気の原因がはっきりとわかっていない時代で、そのことを知らないまま多くの人は病院に行き、言いなりの治療を受けるという時代です。




私は学生時代から続けていた格闘技を、大学を卒業した後もアルバイトをしながら26歳まで続けていました。


昼は倉庫で荷物を担ぎ、夜は練習するという日々は、劇画的ではありましたが、体力の消耗が激しすぎるのと、怪我が何時までも治らないので、それほど良い環境ではなかったですね。


でも人生の一時期をそうやって過ごせたことは、とても満足しています。





ともかくそういった時期があったため、体は故障だらけで、しかも頭を撃たれることも多かったため、パンチドランカーの症状が出たのかと、恐ろしかったです。



しかしいくら精密検査をしても、異常は見つかりませんでした。


(ただ精密検査で異常無しとされた選手が、次の試合で簡単に死亡するということがしばしばありますから、この時代の脳の検査は1000年後から見れば、あてにならないものだろうと思います。)




「異常」が見つからないのは幸いなことでしたが、「原因」が分からないのは、対処の仕方が分からないため困ることでした。






でも、


「都会の中でこんな無茶な生活をしていたら、無理もないだろう」


という自覚があったのですね。





それで、


 「のんびり田舎暮らし」 


を・・・と考えるようになったんですが、最初は街の中にいて、とても実現出来る気がしませんでした。





それで通勤だけでも確実に楽な会社にしようと、当時住んでいたアパートの近所の会社に転職したのですが、すぐに埼玉のはずれに転勤することになりました。



これが転機でした。







埼玉のはずれに行って、良かったことが二つありました。



一つは、埼玉のはずれという準田舎に一度住んでみたことで、


「本格的な田舎暮らしも、やれば出来るんじゃないか」


という気持ちが出てきたこと。



もう一つが今住んでいる群馬県の魅力に気付けたことでした。





1000年後は分かりませんが、この時代の群馬とか北関東って、あえて意識する場所ではなかったのです。



「オレは旅に出るぜ!群馬へ!」



とか、特に若い頃は思わなかったんですね。






田舎暮らしを始めようとする人にしても、



「北海道で、沖縄で、信州安曇野(長野県の安曇野市のこと)で!」



と考える人は多くても、あえて



「群馬で!栃木で!茨城で!北関東で!」



とはあまりイメージしないのではと思います。



でも、埼玉のはずれに住んでみて、あたりをフラフラするようになってみると、群馬県という場所は実に魅力がある所だったのです。






・まず、天気が良い日が多く日照時間が長い。雪も東京と同じ程度。



・関東平野の終わりに位置していることで、風景が起伏に富んでいるんですね、そして自然が多い。


私の出身地である北陸も自然は多いですけど、厳しい自然であまり遊び場所には出来ないですから。



 群馬の自然は遊び場所になるような、良い意味で 「ゆるい自然」 なんです。



・そして東京まで近く、交通手段も選べること。



・200万の人口のいる県ですから、買い物場所や遊び場所は沢山ある。



・そして群馬って昔からはっきりした殿様がいなかったせいだと思うんですが、縄張り意識が低くて、全体的にオープンな県民性でした。






北関東全般がそうなんですが、



「普段の暮らし目線」



でみると凄く良い場所なのです。




埼玉のはずれに一度住んだことで、それに気付けました。



(つづく)

1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし②


前回の記事で、


「手前味噌とは、自分の家で作った味噌の味を自慢することで、自分で自分のことを誇ることを表すこの時代の諺」


と書きましたが、2015年の時点で「家庭で自家製味噌を作っている」ケースというのは、元気な7.80代のおばあちゃんか、よほど食と健康にこだわっている人が家族にいる、田舎に住んでいる農家の一部くらいではないかと思われます。


毎日口に入れる調味料を丁寧に選ぶという発想は、まだごく一部の人しか持っていない2015年です。



第二次世界大戦後の高度経済成長に伴い、物質的な豊かさに恵まれ始めた日本。



それが一度頂点に達しつつあった頃に、


「そんなものはくだらない、レールに乗った生き方を否定しろ、脱サラしてラーメン屋を開業してみせろ!」


というプロパガンダを始めたメディア。




そういった時代の空気の中で育てられた私は、「就職氷河期」の到来に伴う敷かれたレールが足りなくなる事態とか、そんなことと関係なく、学校を出たらすぐに働こうという発想はそもそも持っていませんでした。



「まさか!」


という感じでした。




大学はわりと流行作家などを輩出している文学部に通っていたのですが、ですからクラスメートの多くが3年の秋から就職活動を始めるのを見た時は、心底驚きましたし、


「彼らは少し変わっているのだろう。少なくとも文学部の生徒としては」


そう真剣に思っていました。



就職などせずに、社会の中で迷走し、そこから何かを生み出すのが、少なくとも文学部出身者の役割ではあるまいか、真剣にそう考えていたのです。


今もそう思っているかもしれません。







ですからそれからの数年で、メディアが「格差社会」や「勝ち組・負け組」といった言葉を使って、


「経済的視点からばかり見た貧しさ」


に対する恐怖心を煽るプロパガンダに切り替えるのを見せられた時は、まぁ大人に対してガッカリしたのでした。







とはいえ、しょうがないと思うのです。



プロパガンダを創り出す側にしても、初めて体験する国家レベルでの豊かさの中で何をしたらいいのか、世界規模での経済の浮き沈みの中で何をしたらいいのか、よくわかっていなかったのでしょうから。





なので、


「悪いタイミングで、梯子を下ろされた」


そういった就職氷河期世代の一員としての恨みみたいなものは、私には無いですね。






むしろ良かったと思っています。



「自由にしろ!」


と子供の頃は言って育てられ、


大人になる頃には、


「自由にやっていいからさ、まぁなんとか生きてよ」


と言われたわけで。





おかげで罪悪感のようなものを比較的感じずに、新しい生活を始めやすかったと思います。



逆に私たち氷河期世代より下の、そういった「経済的視点からばかり見た貧しさ」に対する恐怖心を煽るプロパガンダの中で育った世代の方が私は心配です。


接してみると、やはり貧困意識がかなり強いことが多いので。




とはいえ、彼らの世代はスタート時点でいろんなものが安価に揃っている世代でもありますから、憐れむことはないでしょうし、私と同じ様に、彼らも憐れまれたくなどないでしょう。



「いつの時代も良い時代」


です。




1000年後の人々は、きっと全員がそう考えるだけの哲学を持っていることでしょう。




さて比較的自由に自分の進路を選べた氷河期世代の私といえど、26歳になってようやく勤めた会社を30代前半で辞め、一般的な社会の枠から飛び出すことを決意することは、かなり難しいことでした。






2015年の現在において、人が生活に大きな変化を起こそうとする時、それは


「病気、経済問題、人間関係の破たん」


だいたいこの3つか、これらがまとめてきた時くらいではないかと思います。



そうもないのに生活に変化を起こせる人は、いつの時代も相当強い人ではないでしょうか?


私はそうではなかったですね。




だからこの3つの出来事は悪いことではありますが、考えようによっては大きなチャンスでもあります。


1000年後のあなたにも、そう考えていただきたい。





 私が「田舎暮らし」を考え出したのは32歳の時で、きっかけは病気でした。





(つづく)














1000年後へのブログ 2010年田舎暮らし①

私がいわゆる「田舎暮らし」を始めて、およそ7年経ちました。




「田舎暮らし」


という言葉が、日本で広まり始めたのは、昭和50年代の終わり、1985年位からだったでしょうか。



調べてみますと「田舎暮らしの本」という、田舎暮らしにあこがれる人向けの代表的な月刊雑誌が1987年に創刊されたようですので、やはりその位だったようです。



わざわざそういった雑誌が作られるくらいですから、当時の人にとって「田舎暮らし」は特別なことであったと思うのですが、それから30年程度経った2015年現在はどうかといいますと、まだまだ一部の人間のすることといった印象であると思います。



とはいえ、危険視されて即座に排除されるというようなことは無い、そういう段階には来ていると思います。


私は33歳から田舎暮らしを始めました。


2010年前後の現在において、30代で田舎暮らしを始めるというのは、飛び上がって驚かれるようなことではないものの、地方メディアの取材などを大部分は受けることになるであろう程度の珍しさです。




自分の事でもありますので手前味噌(・・・手前味噌とは、自分の家で作った味噌の味を自慢することで、自分で自分のことを誇ることを表すこの時代の諺)になりますが、この時代において田舎暮らしをしている30代というのは、社会に受け入れられるかはともかく、自分の考えやこだわりを大事にする、かなり個性の強い人間が殆どの状態だと思います。



そしてこういうタイプの人間が、ごく稀な「奇人変人」レベルではなく、ある程度の「層」として現れだしたのは、私達「就職氷河期世代」からではないかと思います。




それにはいくつか理由があると思います。



お察しの通り、理由はそれまでの


「レールに乗った生き方」(・・・1980年位からネガティブな意味でよく使われるようになった表現です)


をしようにも、レールが足り無くなってしまっていたこと。




そして、就職氷河期世代というのは、幼年時代にテレビを中心としたメディアから


「レールに乗った生き方、それまでの主流な生き方、物質主義的な生き方はくだらないものだ!」


という考えを、繰り返し繰り返しすりこまれた世代でもあったからです。





実際に行動に移すかどうかはともかくとして、氷河期世代には


「レールに乗ることを否定したがる、反物質主義的な思想を持つ」


という部分が、比較的多く眠っているのではないかと思います。





ですので、田舎暮らしを実行に移した30代というのは、表面的には反・非メディア的な考えを持っていることが多いのですが、見方によっては私も含めて


「実はメディアに影響されやすい性格だった」


と言えるかもしれませんね。




私の育った家庭は、カラーテレビ位しか家庭での娯楽が無かった1980年代に、基本的に民間放送禁止という厳しめの教育方針だったのですが、「生き方」をテーマにした重たいドキュメンタリーやドラマはしっかり見せられていたため、あまり免疫の無いところに、一般的な人より強い影響を受けてしまったのかもしれません。